花燃ゆに学ぶ池田屋事件と吉田稔麿の最期はどれ?

公開日: 2015年06月20日
最終更新日: 2015年06月21日



6月21日放送の『花燃ゆ』は池田屋事件が勃発します。

池田屋事件といえば、
瀬戸康史さん演じる吉田稔麿の最期となりますね。
瀬戸康史さんを見ることができるのも最後か・・・

瀬戸康史の性格と出演ドラマの役がリンク?尊敬する人物とは



『花燃ゆ』の公式HPを見ると、
7月から”大奥”編が始まるらしいです。


『花燃ゆ』放送の前に、
そもそも池田屋事件とは何なのか?
松下村塾の四天王である吉田稔麿の最期は?

ということを復習してみたいと思います。
かなりかみ砕いて簡単にわかりやすく書いてみたいと思います。

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池田屋事件の跡地は居酒屋

池田屋事件は1864年7月8日(元治元年6月5日)に勃発。

事件場所は京都三条木屋町(三条小橋)にある、
”池田屋”という旅館でした。

今現在は、”池田屋 はなの舞”という居酒屋になっていて、
新選組コースや、隊士ランチという、
ユニークな名前のメニューがあります。



池田屋事件は尊王攘夷過激派(吉田稔麿たち)VS新選組の戦い


花燃ゆ池田屋事件
出典:http://www.nhk.or.jp/hanamoyu/
瀬戸康史さんイケメンすぎるなぁ


池田屋事件は誰と誰の争いで勃発したのか?

幕末ファンの夫の話を聞いたところ、
これがなかなかどうして奥が深く、
聞いていて頭が痛くなって眠くなってきました。

ポイントとなる言葉は”尊王攘夷”。
そもそも尊王攘夷とは何なのか?

尊王⇒天皇を尊ぶ思想
攘夷⇒外敵を追い払って国内に入れないこと

吉田稔麿属する長州藩(松下村塾門下生)は、
国内に異人さんを入れたくないという人達です。

当時の天皇も異人さんはいれたくないな、
という考えだったのと、
吉田松陰が天皇バンザイな人だったので、
じゃあ、天皇と仲良くするか、と思い長州藩は色々動くわけです。

天皇も最初は長州藩良いんじゃない?と思ったものの、
長州藩の過激な考え方についていけず、
縁を切ろうとして会津藩と薩摩藩と手を組みます。

とりあえず、長州藩等の過激派をどげんかせんといかん
ということで、池田屋事件は過激な尊王攘夷派と、
京都守護職の新選組との争いに発展。



吉田稔麿の最期はどれ?

吉田稔麿の最期には3つの説がありました。

吉田稔麿は池田屋での会合の途中で抜けて、
陣地に戻りました(池田屋にはいない)。
で、また池田屋に戻る時に討ち死に。

その1⇒新選組が池田屋の周辺を取り囲んでいて争いの末の討ち死に

その2⇒池田屋に戻る途中で会津藩兵多数に遭遇し討ち死に


3つ目は上記2つとは全く違う最期で、

その3⇒池田屋で襲撃を受け、陣地に戻ったものの傷が深く門前で自刃


『花燃ゆ』ではその2のパターンの最期でしたね。
瀬戸康史さんの演技も良かったですね。

とにもかくにも、享年24という若さの吉田稔麿。
「稔麿が生きていたら総理大臣になっただろう」
と言われているくらい優秀だったそうです。



最期のまとめ

うむ・・・幕末は難しい。

背景が背景を呼ぶ状態なので、
池田屋事件だけを簡単にまとめるのは至難の業です。

一応、幕末ファンの夫にチェックをしてもらいましたが、
詳しく知りたい方は本を読むのが手っ取り早いです。

夫の参考文献
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