あさが来たでディーンフジオカ演じる五代友厚ってどんな人?

公開日: 2015年10月01日
最終更新日: 2016年01月15日



『あさが来た』はじまりましたね。

あさの幼少期を演じているのが鈴木梨央ちゃんなだけに、
少女時代の話も面白く見ることができます。

第3話では、あさが五代友厚とぶつかって、
あさの着物の袖に鉄砲が入る、というエピソードがありました。

五代友厚を演じるイケメン俳優はディーンフジオカさんで、
2015年夏ドラマ『探偵の探偵』にも出演していました。
関連:ディーンフジオカさんの詳細はコチラ

ディーンフジオカさんもかっこいいイケメンですが、
五代友厚もかっこいいイケメンなんですよ。

歴史に疎い私は「五代友厚って誰?」と思ったので、
五代友厚について調べてみました。

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五代友厚のプロフィール


五代友厚 [高橋直樹](楽天)

五代 友厚(ごだい ともあつ)
生年月日:1836年2月12日から1885年9月25日(満49歳没)
死因:病死(糖尿病)
出身地:薩摩国鹿児島城下
主君:島津斉彬、久光


ディーンフジオカさんとは雰囲気は違うけれど、
五代友厚もなかなかイケメンな人物ですよね。

五代友厚はイケメンなだけでなくかなり優秀な人物だったようで、
藩主から才助という名前をもらったそうな。

藩からの推薦で長崎に遊学。
長崎滞在の11年の間に得た人脈がその後の活躍にも役立ちました。

その人脈が、勝海舟、榎本武揚、坂本龍馬、木戸孝允(桂小五郎)、高杉晋作、
トーマス・グラバーというメンバーで、幕末の主要人物と知り合いだったようですね。

この時の人脈を活かし、トーマス・グラバーから”あるもの”を購入したわけですが、
トーマス・グラバーって誰彼構わず営利目的で武器を売っていた人なんですね。
怖い、怖い。

そんな怖いトーマス・グラバーから購入した”あるもの”は、
あさの嫁ぎ先の大阪に影響を及ぼすものの1つなのです。

五代友厚は”大阪の恩人”と言われるくらい、
大阪と深い関わりがある人物。

あさとはどういう感じで絡んでいくのかが楽しみなところですが、
五代友厚がなんで大阪の恩人と呼ばれたのかが気になりますよね。



五代友厚が大阪の恩人と言われる理由は?

五代友厚が初めて大阪にやってきたのが倒幕後の1868年。
それ以来、初代大阪税関長に就任し、大阪府政を担当することになります。

あさとぶつかったのが1862年とのことなので史実とは違いますが、
五代友厚とあさの関係ははっきりしておらず創作なんだとか。

トーマス・グラバーに頼んで香港から英国造幣局の中古機械を購入し、
大阪造幣局を建設するべく頑張ります。
(この中古機械が”あるもの”です)

大阪港でも悪さをする外国人を厳しく取り締まるという活躍ぶりで、
1869年に五代友厚が横浜に転勤を命じられた時には、
「いかないで~」という大阪の人の声が多かったからか、
転勤して2か月で退官して大阪に戻ってきたんだとか。

大阪に戻ってきて実業家になった五代友厚の活躍っぷりがスゴイのなんの!

1869年、大阪に戻ってきた五代友厚は、
硬貨の信用を高めるために貨幣の地金を作る金銀分析所を設立。
ここでの儲けで五代友厚は様々な事業を展開していくのです。

政府主導で設立された大阪通商会社・為替会社(株式会社の先駆け)の設立にも関わっており、
退官した後も政府の為に力をかしていたんですね。

1870年、五代友厚の要請で本木昌造が大阪活版所を創立し、
日本で初めて英和辞書を印刷する。

1873年、全国の鉱山を管理する事務所の弘成館を設立。
五代友厚は鉱山業にも尽力をつくしていて”鉱山王”と言われていたそうな。

1876年、染料の藍の製造工場である朝陽館を設立。
さらに、米の取引所である堂島米商会所も設立する。

1878年、大阪株式取引所(現・大阪取引所)と大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)を設立。
大阪商法会議所の初代会頭に就任。

事件のドサクサに紛れて金儲けを考える悪人を増やさないために大阪商法会議所を設立したそうですが、大阪港の厳しい取り締まりといい、五代友厚は正義感に溢れる人だったことが伺えます。

1879年、大阪商業講習所(現・大阪市立大学)を創設。

1881年、大阪青銅会社(住友金属工業)、関西貿易社を設立。
この年、開拓使官有物払い下げ事件に関わってしまいます。

開拓使官有物払い下げ事件って何ぞや?と思って調べてみたら、
莫大なお金(約1,400万円)をかけて開発した船舶・鉱山などの官有物(国有地)を、ものすごく安い値段(約38万円)で、さらに無利子で売り渡すという事件だそうで。
※結局、批判がすごくて取りやめになったそうな(そりゃそうだ)

~『あさが来た』の中の開拓使官有物払い下げ事件~
2016年1月15日の『あさが来た』で開拓使官有物払い下げ事件について説明がありましたね。
『あさが来た』では、政府が北海道を開拓しようとしたけれど全然開拓が上手く行かず、
商売上手な五代友厚にお願いしたと言っていました。

そんな未開拓な地に五代友厚がお金を払えるとしたら38万円だ、
ということでこんな格安の金額で売り渡すことになったそうな。
~ここまで~

1882年、共同運輸会社、神戸桟橋会社設立。
五代友厚は批判を浴びてもめげません!

1884年、大阪商船(旧・大阪商船三井船舶→現・商船三井)開業。
大阪堺鉄道(南海鉄道)を設立。

このまま勢いが止まらないかと思いきや、
五代友厚は1885年に病死してしまいます。


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五代友厚の最期

五代友厚は病死なのですが療養のため東京に引っ越してきて、
そのまま東京で最期をむかえました。
療養のために東京へ、って今では考えられないですね。

その後、五代友厚の葬儀は大阪で行われたのですが、

五代友厚の葬儀は、市電も御堂筋もまだない、
北区東区西区南区だけの大阪市の人口40万人ぐらいの大阪だった当時、
今でいえば北は淀川から南は大和川まで、
御堂筋パレード以上の葬列の葬儀が中之島で行われた。
それほど、大阪に尽くした功績は偉大でした。

引用元:遊雑学ウオッチング(大阪の救世主といわれた五代友厚)


というくらい、人望があったんですね。


人望もあり、紡績業・鉱山業・製塩業・製藍業など幅広く手掛けた五代友厚は、
さぞやお金持ちだったのかな?と思いきや、
100万円の借金を残してしまったらしいです。



最後のまとめ

五代友厚はイケメンなだけでなく、
大阪になくてはならない実業家でした。

『あさが来た』のあさも女性実業家。
関連:あさが来たのヒロインモデルはどんな人?

この2人が朝ドラ『あさが来た』でとのような関わりを持っていくのか・・・
今後が楽しみですね。

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