子どもと接していると、ふと思うことありません?
「見ればわかるじゃん!」って。
私はしょっちゅうあります。
別にね、「察してほしい!」って言ってるわけじゃないんです。
ただ、そこにある情報を使えば分かるよね?っていう場面で、
なぜかそれが通じない。
そんな小さなズレに、
イラついてしまうんですよ。
見れば分かるじゃんが通じない理由|私と子どもの認知のズレ
たとえば、リビングでの出来事。
首を少し動かせば時計が見える場所にいるのに、
「おかーさん、今何時?」と聞いてくるんです。
いや、そこに時計あるじゃん。
見れば分かるじゃん!
……って思いません?
自分の首を、動かせや!と。
首を動かすのが嫌なら、目を動かせや!と。
これが「たまに」の話ならいいんですけどね。
しょっちゅうだから、イラッとしてしまうのです。
ある日のこと。
「この用事、何時からだっけ?」と聞かれて、
「14時からだよ。トイレのカレンダーに書いてあるよ」と答えたんですけどね。
時間も教えたし、忘れた時のフォロー先も教えたんですけどね!?
数時間後。
「あの用事って何時からだっけ?」
だ・か・ら・さーー!!さっき言ったよね?
しかもカレンダー見れば分かるじゃん!
ここでふと思ったんです。
この子、「見れば分かる」って発想自体がないんじゃないかって。
私の場合、時計が目に入ったら、勝手に時間を把握して予定と結びつけてますからね。
それがほぼ無意識でできてるんですよ。
大人は大抵そうですよね。
だから「見れば分かるじゃん」になる。
でも子どもは、時計が目に入っていても、
それが「今の自分に必要な情報」として繋がっていない。
カレンダーも同じで、
「書いてある」と「だから自分で見る」がまだくっついてない。
結果、お母さんに聞くのが一番早い方法になってる。
……うん、まあ、そりゃそうか。
そりゃ、そっち選ぶよね。
なぜ子どもは分からない?同じことを何度も聞く理由
こういう場面が続くと、つい
「なんで分からないの!?」って思うんですけど、
よく考えたら、分からないわけじゃないんですよね。
時計見るより、聞いた方が早い。
それだけの話なんですよね。
しかも聞けば答えてもらえるって分かってるから、
「また聞けばいいか」になる。
こっちがちゃんと答え続けてきた結果でもあるんですよね。
……なんか悔しいな、それ。
よかれと思ってやってあげたことが裏目に出てる感じ。
子どもからしたら「なんでわざわざ見に行くの?」って話なんでしょう。
ここのズレ、地味だけどじわじわ効いてきます。
なぜ子どもに伝わらない?大人との見えている世界の違い
それともう一個気になってるのが、
そもそも見えてる世界が違うんじゃないかってこと。
大人は視界に入ったものを、ある程度勝手に処理しますよね。
時計、カレンダー、なんとなく周りの状況。
それを無意識に拾って動いてる。
でも子どもは、自分が意識を向けたものしか情報として入ってない感じがする。
時計は見えてるけど「時間を確認するもの」として使ってない。
カレンダーも「予定が書いてあるもの」として結びついてない。
今やってることの方が優先度が高すぎて、
それ以外は全部ノイズになってるんだろうな。
同じ部屋にいて、同じ方向を向いてても、見てるものが違う。
同じものを見ているようで、実は全然違うものを見ている。
そりゃ、話もかみ合わないわけです。
だから「見れば分かるじゃん!」が、そのままでは通じない。
「見れば分かる」は悪じゃない|ズレを知るとラクになる
子どもに、この手の質問をされると毎回思います。
「いや、それ見れば分かるでしょ」って。
イラッとしますよ、そりゃ。
何回言わせれば気が済むんだい!?って。
でも最近は、少しだけ考え方が変わりました。
「なんで分からないの?」じゃなくて、
「この子、どこで止まってるんだろう?」って。
そうやって見ると、
“できていない”というより、
“まだ繋がっていないだけ”なんだなと思えることが増えました。
だからと言って、こんな仏様ムーブは、だいたい初回限定ですけどね。。
2回目以降は「だ・か・らー!」とセット販売になります。
それでも、
「見れば分かるじゃん」と思う自分を否定しなくていいし、
同時に、「なんで伝わらないのか」を知っておくだけで、
ちょっとだけ気持ちがラクになる。
そんなふうに感じています。
ちなみにこれ、小学校中学年くらいの子の話かな?って思いますよね。
中学1年生です。
……ええ、もう一回言いますね?
中学1年生です。


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